本当に大事なことは目に見えないのだとしたら、アニメには本当に大事なことなんて映ってないのか。そうね。

全ての人間は、生まれつき、知ることを欲する。その証拠としては感官知覚[感覚]への愛好があげられる。というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚することそれ自らのゆえに愛好されるものだからである。しかし、ことにそのうちで最も愛好されるのは、目によるそれ[すなわち視覚]である。けだし我々は、ただたんに行為しようとしてだけでなく全くなにごとを行為しようともしていない場合にも、見ることを、言わば他の全ての感覚にまさって選び好むものである。その理由は、この見ることが、他のいずれの感覚よりも最もよく我々に物事を認知させ、その種々の差別相を明らかにしてくれるからである。

 ぼくはこれまでちょろちょろと「見ること」について考えてきたつもりだが、この文章を引用したことはなかった気がするので、一度、引用しておく。最近、ぼくはアニメや映画をほとんど見ていない。見るということをぼくは忘れてしまいそうになる。
ぼくは特別、この文章に共感しているというわけではない。よくわからない。けれども、なにほどか、ぼくはこの文章を頭の片隅には置き続けてしまっている。この文章の意味については今は問わない。アリストテレス、彼の最も有名な一書、その冒頭にこの文章は置かれていて、そしてこの「見ること」の優位が、後の世に多大なる影響を及ぼしているとしても、まあ、それも今はいい。いや、モロにそれなのだが。「見ること」を考えるとき、ぼくはこの文章から離れられない気がしているのだから。
「見ること」を忘れそうになっているいま、この別段面白くもない文章を思い出すことで、少しでも、何とかならないかと思って引用してみた。ならねえか。