今回の思いつき

堀江由衣のカラーが青なのは何故か。割と毎回感じることなのだが、堀江由衣のイベントで目にする青い光(ペンライトなど)は綺麗だ。間違いなく「気のせい」なのだろうが、やはりそれは青が堀江由衣的な色であるからなのではないだろうか。


書いているうちに面倒になってグダグダになってしまったが、消す勇気がない。
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青という色がいかに超越的な色か書いてある・・・と思う。実はよく分かってないが、適当にアレする。
青は「夢見る色」であるとか、「青い鳥」という表現の意味とか、そういうところから切り込んで、青が「遠さの色、遠心的な色、天空の色、生命を包む空間の色、遠く近づきがたい色」と説明を始める。青とは身近な自然に少なく、ほとんど現実には存在しない色であると著者は言うのである。「つまり青はモノの色ではない」。
では、何の色なのか。ギリシャ人の色彩感覚では青は漠としたもの、あるいは死を表す色であったらしいが、キリスト教イスラム教のような一神教的な文化においては青は超越神的な「運命の色」とみなされ、「現実の彼方の『天の王国』を示す色」として現れた。それは青がキリスト教の図象学のコードではマリアの色であることからも言える。つまり、青は神的なモノの色、非現実的なモノの色ということなのだろう。
そして、西洋の絵画においては、そのキリスト教的なイメージを引きずって青が使われるとか使われないとかそんな話が書いてあるのだが、よく覚えてないので、それはいい。この本を読んで、現代において、一番大きな青に対するイメージの転換を起こしたのはガガーリンだと俺は思った。「地球は青かった」というやつだ。天空の色だと思っていたものが、実はこの大地の色でもあったとは!ドラマティック!
いや、実のところ、ここに書いたことなんてどうでもよくて、何故青がこういう色として認識されてきたかということだ。青の顔料、ウルトラマリンブルーというかその原料のラピスラズリが非常に貴重なものであったことがその一因だとこの本には書いてあるような書いてないような。金と同等の価値があったがために、金と同等の位置を占めることになったのではないだろうか。だが、もっと根本的な理由がある。人間の色認識のメカニズムがそこに関与しているのである。

たとえばブルサンティンは言います――「今日では、視覚的な経験は、主に、大脳の二重の機能に対応している、赤と青という二つの基本色を中心としているように思われる。すなわち、赤の求心的な作用、青の遠心的な反作用という直感的、かつ図式的な連合である(寒色・暖色という対立もこの二つの基本色に還元可能だろう)。そして、この対立は、無意識のうちに、男性かつ天空の色(青)と女性かつ大地の色(赤)という象徴的なもうひとつの対立へと我々を連れ出すのである」と。

引用箇所が適切な自信がない。文脈を無視して引用してしまった感がある。「色は、対象の純粋に客観的な属性ではなく、すでに人間と対象との知覚の関係性に立脚した関係の表現」ということかしら。いや、それは少し違うなあ。


いや、結局、俺が言いたかったのは、青は直感的に天使の色だということだけだったのだ。青という色の持つ性格と、堀江由衣という存在の性格が見事にマッチしていて、堀江由衣のカラーは青ということになっていることに、安堵に似た納得を感じてしまった。しかも、超越的存在の色でありながら、この母なる地球の色でもあるという点は、我々が堀江由衣に感じるアンビバレントな感情をもまた見事に説明しているように思えるのである。どういうことだ。
俺は堀江由衣の「天使性」というものを誰にでも分かるように説明したくて、ファンが振るペンライトにまで思いを託してしまうのだなあ。そんなことしなくてもみんなわかっているってのに。