図書館戦争 第9話「昇任試験、来タル」

こういう話をしている限りにおいては、図書館・戦争的な設定が必要性を失うからやたらと設定がおかしく感じてしまう、と思っていたのだが、なんだかそれは間違いだと言われた。探求は続く。ラブなお話は見ていると死にたくなってくるのでやめて欲しい。
「一言で言えばガチじゃないから」という理由で、この作品にイマイチ踏み込めない俺のような人間はEDの映像も嫌いになる。俺にはEDにおける笠原がひどく怠惰でオナニスト的で堕落しているように見えてしまうのだ。EDにおいて笠原は右から左に走っている。走っていること自体はいいことだ。走ることは何かに向かうこと想起させるから、少女が夢に向かって走っていることの表現になりうる。走ること自体が目的だとしても、そのがむしゃらさは笠原らしくて良い。しかし「右から左」という方向性が問題だ。映像作品において右は上位を意味し、「右から左」への動きは「上から下」への動きを連想させ、自然で安定した印象をもたらすと言われる。いや、どこで言われているのか知らないが*1、感覚的にも、このEDの映像では笠原は滑るようなスムーズさでとても楽そうに走っているように見える。また、笠原はゆるやかな坂を登っており、最終的にはそこから助走をつけて飛び上がるのだが、しかしそのまま上昇はせずに地面に落下してしまう。「右→左」という方向性と「落下/着地」というこの二つの要素を併せて考えると、このEDにおいて、笠原は水が上から下に流れるのと同じような理屈で走り、そして同様に落下しただけだということになる。これはこの物語の主人公である少女にはそぐわない表現ではないのか。この少女は何かに向かって進歩しようとしているのではないのか、上を目指そうとしているのではないのか。もし、このEDで良いということであれば、この少女は夢を持たず、現状に甘んじて、走るフリ・飛び上がるフリをして自己満足に浸っているだけに思えるのだ、俺には。さらに言えばEDテーマ曲である「changes」という曲の歌詞とも矛盾をきたすことになるだろう。「やっぱガチじゃないんだなあ」と思うことになる。
まあ、この解釈は一通りのものでしかなく、また正しくもないだろう。このEDを上昇志向的に読み解くこともできる。というか、ぱっと見た感じでは俺も上昇志向を感じたので、そっちのほうが真っ当だろう。だが、多分、俺のような人間がEDを作るなら、笠原はすごい勢いで走るし*2、最後はロケットみたいに飛び上がって空へと消えるのだ。それが俺にとっての「ガチ」。

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%89%8B%E3%81%A8%E4%B8%8B%E6%89%8B 
『一般に、舞台中での偉いもの、重要なものは上手に位置する。同じ事は洋の東西を問わず成立するようだが、起原は定かでない。一説には、人間の体の心理的中心が心臓を通るやや左寄りの線であるために、強いもの、圧迫感のあるものを無意識に右側へと遠ざけようとする作用から来ているともいわれる。』
まあこの辺から導き出せるか。

*2:『ぼくらの』OPみたいに。あれも右→左の方向だけど。