崖の上のポニョ

当初予想されたような、ヌルヌルでグチョグチョでビラビラなアニメではなかったが、とても面白かった。全く倦んでしまうところがないからすごい。
まず、描かれているあらゆるものが目を楽しませてくれることに驚く。それは俺が、魚や水中、水そのものが好きな人間である事も関係しているかもしれないが、とにかく画面一杯に躍動するモノ達が、一々、楽しい。次に、キャラクターの存在感だ。表情は無論のこと、細かい仕草から歩き方まで、動きの全てでキャラクターの存在を描いている。つまり、動きだけでどんなキャラか分かってしまうし、そのキャラが居る感じがする。そこから、日常描写が劇的にもなる。この辺はアニメの根源的魅力だと思う(ジブリ作品ならそう珍しくもないか?)。そして、暗さがないことも、このアニメの特徴だろう。例えば、嵐のシーンだ。物凄い嵐が海辺の町を襲う、そのこと自体はとても恐ろしいことのはずだ。しかし、全くそういう風には描かない。嵐に子供が飛ばされそうになっても波に車が攫われそうになっても、生き生きとした人々と愛でネガティブさを消し去ってしまう。またポニョも宗介も対象レベルでは全然酷い目に会わない。基本的に明るさと幸せしかこのアニメにはないのだ。
だが、このアニメで称揚されているのは人間の人間性だけではない。それは、もともと人間性を具えているポニョが生物種としての人間となり、ハッピーエンドを迎えることから明らかだ。しかし、それがよく分からない。一般に人間が尊ばれるのは人間性の故であるが、このアニメには基本的に人間性を持ったキャラクターしかいない。人間をやめたポニョ父ですら、非常に人間臭い。その中で、ポニョを生物としても人間にする意味とはなんだ。生物としての人間を尊ぶというのか。ポニョを人間にすることは、『紅の豚』や『もののけ姫』でやってきたこととは正反対であると言ってもよいだろう。今までは人間性を人間の要件にしていたのではないか。『人魚姫』が下敷きなっているから、というだけでしていることなのだろうか。うーん。ポニョが人間になりたがる理由の問題になるのか。確かにポニョは生物としての人間に憧れているなあ。
また、少し不思議なのは、このアニメでは家族を破壊してしまっていることだ。つまり、ポニョが人間になることで、ポニョ家は一種の離散状態に置かれている。ポニョが宗介に嫁入りしたという解釈は、そこをクリアするだけでなくポニョが人間種になることの理由にもなりうるので、便利なのだが、しかしポニョは宗介の血を分けられて人間になったわけだから、むしろ兄弟だと考えるべきだ。ある家族からある家族へと要員が移動した。それは家族分裂の悲しい物語になってしまっていないか。それを明るい物語にする鍵は、2つの家族の対置の導入だ。宗介家は家族が愛し合っており、また互いを名前で呼び合う対等な関係の構築された理想的な家族である一方で、、ポニョ家はポニョ父がポニョ母のことを「あの人」と、妻に対するにしては異常な畏敬の念をこめて呼んでおり、夫婦の関係が対等ではなく、また子供を過剰に保護・管理しようとする歪な家族である、というように見ることができる。そこからポニョが救済される物語とすれば・・・。
などと内容に関して妄言を吐きつつも、実は俺は、このアニメの軸となるストーリーをきちんと理解することができなかった。確かに、このアニメはすごく豊かで幅の広い解釈の可能なアニメではあるが、軸自体は恐らく子供にも理解できるように作られているのではなかろうか。実際、同行者3人は特に困っていなかったようだ。それなのに俺は。捻くれているのか、バカなのか。