例えば、沢城みゆきは技巧派である技巧に長けた声優である、というようなことは言えると思うのだが、技巧派と実力派の境目はどの辺にあるのかなあ、ということを最近思う。いや、つまり実力ってどゆこと?という疑問になるのか。技巧の無い人と有る人とを比較すれば、おそらく技巧の有る人をより実力派と呼ぶのだが、あまりに技巧的になると敬遠される謎。いや、謎なのかどうかよくわからないが。演技には本物らしさ以前にうそ臭さが必要なのではないかと思わなくもない。極端なことを言えば、演技が本物だとしたら、それは演技ではない。いや、嘘だと認識する枠組みが用意されていればいいだけだ。技巧=理論だとしたら、それは観念的とでもいえるような範形であるから、追求しすぎたときの非現実感か。観念と経験を対置していいなら、技巧に頼らない場合、自分の経験に基づいて演技することになる。それがどの程度受け入れられるか。この二つの折衷を高レベルで行えるということが、実力の意味なのか。違うんだろうな。