http://blog.goo.ne.jp/mizshima1941/e/3e86233f8c33182aa32c385306a3a079
メシ食って帰ってきて、この記事に気づく。良いときは作監の功績で悪いときは演出の責任かあ。
動きの悪いものを「演出」は放置してはならず、作監に直させなければならない。放置したならそれは「演出」の責任である。指示により改善できれば、指示した「演出」ではなく、実際に作画した作監・アニメーターの功績になる。――書いてあることの解釈の一つとして、こういう読みはありうるだろう。
例えばアニメーターから見て「良い」動きをしていても、もっと良い動きを考えうる「演出」にとってはそれは「悪い」動きである。しかし、アニメーターは彼の考えうる最善を描いている。その彼に対して「演出」が「ここをこういう風に描いてほしい」などと指示して、客観的により良いものになったとしたら、それは普通の考えでは(少なくともある程度は)「演出」の功績ではないだろうか。うーむ。
やはり、絵の描けないという監督の心構え、アニメーターへのリスペクト表明というようなものとしてのみ受け止めておくべきエントリか。だが、どうしても「100%」や「間違いなく」という言葉が引っかかる。