我が家のお稲荷さま。 第7話

はっきりと理由が分からないのだが、本当に俺はこのアニメが好きみたいだ。たまらない。しかし、それがどこから来る感情なのか分からない。コウちゃんが可愛いからか?それは大いにあるだろうが、それだけではないといいなあ。以下、推論のための推論。
全体として言えるのは、慎ましいということだろう。基本的にハッタリやケレンの類はあまり感じさせない。どちらかといえば、現実的な生活世界に寄り添っている。しかし、日常にありえないものも、アニメらしく、存在している。それは最も明白なところでは妖怪との戦闘だが、それだけでなく、金髪の美女の姿をした妖孤もそうだし、巫女服の少女もだ。多分、コウちゃんがあのキツイ巫女服でなければ、空気が安寧に落ちすぎる。このバランス感覚の妙が、俺に訴えているのではないかと思うのだが、どうだろう。
今回。脚本はつまらないほどにシンプルで、気を張らずに済む。繰り返し子狐の可愛らしさがクローズアップされたり、落とし所は食べ物に釣られた狛犬だったり。その中に遠心的なものとして、伏線が張られる。ミスリードを誘っているのか素なのか判然としない伏線?であるが、その不明確さ自体にも遠心の効果がある。また映像面では、買い物袋や醤油、ちゃぶ台の据えられた居間など、生活を意識させるものが映され、カメラの位置からも生活的視線が提示される。その一方で、中だるむ部分では割と画面の良く動くバトルを据えて、地に足の着かない感じを与える。
このように見ると、日常・非日常の区別がなされているように思える。ただ、この区別はメリハリのあるものではなく、曖昧なのだ。そのことにより、俺とアニメとの隔たりは微妙なところで調整されているのではないか。かなり俺(現実)寄りの、しかし寄り過ぎない辺り、心地よい距離に。今回のコンテは高田淳。油断できない奴。演出の畠山茂樹は4話でも演出をしていた。ひょっとすると水のエフェクトに感心がある人なのか。
いろいろと工夫されているのではないかと思わせられるアニメだ。キャラデザ、色彩、美術、声優、ストーリー・・・様々な要素が気遣われた結果として、熟しているが甘くない果実のようなこの作品がある。と思いたい。