劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ギラティナと氷空の花束 シェイミ

TVシリーズも劇場版もほとんど見たことがないのだが、愛好者の圧力を受けて見に行った。
ポケモン劇場版の魅力の一つに、野生動物のドキュメンタリー的な要素があると思うんだ。ポケモンが自然の中で生きている・存在している、その描写というものは、ポケモンを人工的で人間に把握可能なモノからはみ出させ、ある種の得体の知れなさを纏わせる。その未知性に人はワクワクできるのではないだろうか。そして未知性は、スケール感の広がりにも一役買っている。この映画でも、冒頭で2体のポケモンが争っている様が映し出されるが、「人知れず生を営む」「人が介入できない」という二面から、世界と物語の広がりを予感させている。
ポケモンのことはよく知らないので、話を追いきれなかったようだが、愛好者Mの言い分には納得できない部分がある。彼が言うにはこの映画は、ギラティアがシェイミを追うのはシェイミディアルガを逃がしてしまったことを怒っているからだ、というセリフで視聴者を騙しておいて、後から真相を明かすという構成になっていたそうで、そこが良いところらしいのだ。しかし俺は全くミスリードされなかった。つまり、俺はその点で良さを感じられなかった。ちゃんと騙されなかった俺が悪いといえばそうだ。しかし、怒っているというだけでこんなに必死で追っかけたりしねえだろ、という感覚はごく普通のものじゃなかろうか。そのミスリードを歯牙にもかけないことが、俺をそんなに悪い視聴者にするのだろうか。やはり、騙し不足or最初から騙す気などない、と俺は考えたい。