アニメ批評のゼロ地点突破。善の彼方。

ktzwさんに苛められたせいかここしばらく、アニメについて語ること、その全てに希望を見出せず、失語症状態に陥っていた。感想や評価として語られうる言葉のどれもが、そう言われるための根拠・立脚地を究極的には持たない。そう考えると、アニメについてのいかなる語りも不可能だということになる。言葉が空を彷徨う予感が俺に発言を禁じる。「そんなことを言っても何にもならない」。
しかし、それでも、現事実として、世の中にはアニメを巡る言説が渦巻いている。それはどういうことなのだろうか。それは何らかのアニメ語りの可能性を証明しているのではないのか。俺の結論を言ってしまえば、俺たちがアニメ語りの根拠になるしかない、ということになる。それは絶対的な虚無・アポリアを抱え込んだまま、前進する営みである。結局、俺は前に書いたことと同じことしか考えられない。
究極的・超越的な根拠を求めることなく、俺たちが根拠をアポリアの上に築いていくしかない。築かれた根拠は果てしなく不可能性・無効性に汚されている。その不可能性を可能性に完全に塗り替えることはできないだろうが、俺達が絶え間なく対話を重ねることで、動的に揺さぶっていくことは出来るのではないだろうか。炎が自らを焼尽することで更に燃え上がる、そのような運動をイメージしている。対話により共有可能性を鍛えていく、という言葉に戻ってきてしまう。ちょっとそれでは言葉足らずな気がするのだが、俺には補えない。そして実際にどう語っていけばいいのかは未知…。
語り口を見つけられてはいない。「なんだか良く分からないがアニメを語りうる」ということへの驚きと尊敬の念が、俺の起動力になっている。なんじゃそりゃ。