『とある科学の超電磁砲』第3話「ねらわれた常磐台」感想:水と停止

4話が私の好きな感じだったので、その感想を書こうかと思ったのだが、どうも曖昧でダラっとした文章になりそうだったので、3話の感想で弾みをつけてみようかと。
これを指摘している人は多いかもしれないし、全然いないかもしれないが、このエピソードにおいては、「水」と「停止」あるいは「中断」が結びついていたように見えた。停止と言っても、それは佐天さんのそれに限られるのだが。
一度見た記憶だけで書いているので勘違いがあるかもしれない。冒頭、雨の降る中をバスが走っている。バスの停車ボタン「止まります」。ここで、水と停止の結びつきが予告されているようにも思える。雨それ自体は、アニメにおいても、しばしば停止・停滞の記号として機能するように思われる。しかし、ここでは、雨はいったん二人を足止めするも、すぐに止んでしまい、妨げることがない。だが、やはり「水」は停止を惹起するのではないか。バスを降りて、改札のようなものをするっと抜けた佐天さんと初春さんは噴水のある広場のようなところで立ち止まるのだが、その広場で、佐天さんは水溜りに足を滑らせ、転倒してしまう。この転倒を私は「停止」と呼んでいる。ここでは、噴水の「水」もしくは「水」たまりと「停止」が連関しているように私には見える。諸々を経て、ケーキ屋さんに入ると、佐天さんは何故だか急にお手洗いに行ってしまうのだが、そこで二度目の「停止」が発生する。彼女はスタンガンによって気絶させられてしまうのだ。この決定的な「停止」の場面でも「水」は強く存在している。蛇口から「水」が流れ続けているのだ。こうして、二度、「水」と「停止」は結びつく。ように見える。
だが、これだけでは面白くもなんともないかもしれない。このエピソードにおいて、もう一度だけ佐天さんは「停止」させられるように思われる。そして、その「停止」を導くために、その前の二度の停止があったと考えることで、多少の面白みを感じることが可能になるのかもしれない。その「停止」とは。すなわち、佐天さんの復讐の「停止」である。
佐天さんは復讐できない。それは、重福省帆さんの眉毛が佐天さんが手を加えられないほどどうしようもないものだからかもしれないが、それだけではない。佐天さんは「水」を前にして「停止」してしまうのだ。ここでの「水」とは重福さんの涙である。いや、往々にして人は涙を前にして停止してしまうだろう。けれども、その凡庸さを少しだけ潜り抜けるためのルートとして、その前の二度の停止があったと考えてみても良いのではないだろうか。それでも別に面白くないかもしれないけども。少なくとも、そのようなルートが開かれているように見えることが重要なんじゃないの、と思う、私は。
なぜ「水」なのかという疑問はある。佐天さんのフルネームは佐天涙子、というだけでは不十分か。
4話感想に続くかもしれません。終わり。