我が家のお稲荷さま。 第11話「お稲荷さま。奉公に出る」
Aパートにおいて、コウちゃんとクーが甘味処でバイトを始めるが、ここでは視聴者の自由なオナニーが促されている。バイトのコスチュームやゆかなの芝居、その他諸々の雰囲気からそれは明らかだ。しかしながら、Bパートに入るとクーが女性形態をとらず、狐やイケメンの姿となり我々のオナニーを拒絶するようになる。一方では、この空白を埋めるために宮崎羽衣が投入され、またコウちゃんは変わらずオナニーに供され続ける(というか、コウちゃんは作品を通して徹頭徹尾オナニーの対象としてのみ扱われている)。つまり、バランスである。Aパートで散々煽り、Bパートではクーを男にすることでブレーキをかけつつも、コウちゃんの引力はある、というような。そういう意味で、非常にこの作品らしい話数だったと思う。いや、「オナニー」は適宜、何か別の単語に置き換えてもよい。
ふしぎ遊戯(再) 第47話
なんと言えばよいのか。パワフルな演出だった。有無を言わさない強さ。細かいところの作画や演出が大雑把になっているので、現場的に余力がない時期だったのかもしれない。だが、それを逆手にとるかのような演出だ。Aパートにおいては、いくつかの止め絵が与える迫力・想像力が凄まじい。そしてBパートはライブシーンと鬼宿の疾走・跳躍でねじ伏せる。魅せるなどという生易しいものではなく、本当にねじ伏せられた気がする。ここまでは乱暴なのに、最後は鬼宿の格好良い立ち姿とキメ台詞で綺麗に締め。セリフが真っ直ぐで感動的だし。いやすげえわ。
鬼宿がドラマの撮影現場を目にして、自分の本当の想いに気づくあたりも好きだ。虚構であるドラマのセリフが同じく虚構である鬼宿に響き、それが現実に展開していく。虚構の中にも何か本当があると思わせられるし、ストーリー全体としても、おそらく示唆的な何かだろう。
脚本/浦沢義雄、コンテ・演出/西澤晋、作画監督/本橋秀之。西澤晋さんらしい演出だった気もする。