我々のアニメ研究の準備・その1

幻界やNTさんの「自主ゼミしたらいいんじゃね」を受けて。
刹那的で感情論的なアニメ談義は楽しいが、そろそろ飽きてきた――何か「研究」めいたことをしてみたい、という機運が、俺だけではなく同世代の会員達の中でも、高まりつつあるのではないかと思う。われわれ文学部生が在学していられるのは、あと一年半、長くて二年半というところだろう。もう時間はあまり残されていない。残された時間で我々は何かできるだろうか。そう考えたとき、自主ゼミという形式が有効な「手段」として浮かび上がってくる。しかし、その「目的」は何なのか。考えて欲しい。実はよく定まっていないのではないだろうか。自主ゼミ、という響きはなんらか生産的なイメージを伴うが、目的を欠いてなお生産的であることは難しい。自主ゼミの有効性は、まず目的を設定しなければ幻想である。
皆も目的がどういうものなのかおぼろげには分かっているのだろう。だから、自主ゼミという手段を思いつく。だが、おぼろげな設定ではマズイ。暫定で構わないので、皆に共有される明確な大目的を据えて、そこに向かっていくベキだろうと俺は考える。そして俺はその目的として「我々のアニメ批評理論の確立」を提案する。それは、まあ、世間一般に通じる理論でなくていい。SSA流の批評理論で構わない。いずれ世間と戦う日も来るかもしれないが。
「アニメ批評理論の確立」と明言してみたところで、それには具体性が伴っていない。何をしたらよいのか分からなくなる。よって、大目的に向かうステップとして、ある程度具体的な小目的を設定せねばならない。そして、この小目的が実際に俺達が自主ゼミ内で扱うテーマになるだろう。それはどのようなものになるのだろうか。はっきりとは言えないが、文学批評理論や映画批評、コンテンツ文化史、アニメの技術論などは重要な研究テーマになるだろう。理論的な探求の一方で、実際にアニメを見ること(アニメを見る訓練)は勿論欠かせないのだが、どのように接続していけばいいかという点は一考の余地がある。ひょっとすると、批評理論のある種の実践としてアニメ制作をすることも必要になるかもしれない。
とりあえずこんなところだろうか。こんなところ、と言いつつ、このエントリは空虚だ。何も書いていないのと変わらないだろう。しかし、これはあくまで「準備」のつもりである。しかも、まだ「その1」にすぎない。このエントリに同世代の会員が呼応し、研究のための予備的な議論が活性化することを望む。言うまでもないが、俺は自主ゼミを開くことには大賛成だし、そのためにあらゆる労苦を厭わない。いや、それは嘘か。

要約:忙しい人のために

いや、つまりな、自主ゼミとか言って、レジュメ切ってみたり、時間かけてみたりしても、酒飲みながらグダグダとアニメの話するのと本質的に変わるのか?つーこと。本質的に変えるためにはどうしたらいいのかをまず話し合う必要がある。堂々巡り!