単なる記録。単なる独白の記録。もうこんな頭の悪いこと書きたくないのだが。
これまでの断片的な思考を一旦すべて放棄する。どうせ捨ててしまって惜しいものなど何も無い。むしろ、混乱が私に害をなしている。道を踏み外しているとは感じないが、私の手に負えなさそうな道へと進みつつあるとは思う。もう一度、ひどく単純な始原から考え直そう。自分が何をしたいのか。その目的に適う、しかし手ごろな手段を考えよう。探し当てたハンマーが重すぎて扱えないのでは意味がない。自分が何をしたいのか、熟慮する必要がある。手段についても同様だ。しかし、それらについてまとまった提示はしないことにしよう。それが困難だからだ。実現しようとそれに労力を割きもがいても、現在のように袋小路に突き当たるだけだ。これからは個々のアニメについてマメに書くことにする。そして、その都度、自分の目的とそのための手段について、少しずつ考える。それはそれで困難を孕んでいるように思える。可能なのか?と自問してしまう。しかし、とにかく、私は頭が悪いのだ。一気にまとめることはできない。ゆっくり考えるほうがまだ可能性はあるだろうと思っている。いや、どうか知らんが。
なんだかんだ言っても、これは後退だ。おそらく、手ごろなハンマーで出来ることは限られているだろう。というわけで、というわけでもないが、ブログのタイトルを改め「逃走」の言を付した。どこまで逃げられるのか。

以下恥ずかしい話が続く。
と言いつつ、少しだけ目的についても記録しておく。書いておかないと忘れてしまうので。そして、書きながらでないと、考えがはっきりしてこないので。
実は第一の目的すらあいまいなのだが、「良さを知ること」だと今は思っている。「良いアニメ」とはどういうものか、私は知りたい。
「良い」という判断は、「好き」という判断と本質的に異なり、峻別される、としよう。「良い」とは一定の評価的基準による判断であり、「好き」とは不規則な趣味的基準による判断である、という異なりが両者を分別する。「良さ」が「一定の評価的基準」により判断されるものだとすれば、「良さ」を知るには「評価基準」を知ればよい。そして、おそらく、「評価基準」は知られる類のものではない。「基準」はどこかにぽんと置かれているものではないからだ。では、どうするか、だよな。つまるところ必然的に、「良さを知ろう」とする営みは「良さの基準とは何かを考える」営みになるだろう。
その方法とはどういうものになるのだろうか。私には難しい問いだ。なんとなく考えていることを元に、空疎な応答をするならば、「すでに漠然と存在するとされる評価基準および自分の持つ漠然とした趣味的評価基準、その両方を同時に研ぎ澄ましていく」こと(両者の弁証法的統一?)とでも言える。「すでに漠然と存在するとされる評価基準」とは?一例を挙げれば、「複雑さ」や「一貫性」だ。私はしばしば、複雑巧妙な構成を持つ作品が賞賛されるのを、また一貫性を欠く作品が非難されるのを、目にしてきた。それらのような頻繁に人々が用いる評価基準を吟味することは、世間で一般的に言われる「良さ」への接近を助けるのではないか。あるいは、慣習的「良さ」の彼方への道も開けるかもしれない。この基準には批評理論の類もまた含まれるのかもしれない。
「趣味的評価基準」は「好き」という判断の基準であると前述した。しかしながら、私は「好き」が「良い」に転じる要請を感じる。一般に言われる制度的な評価基準だけが「良さ」を切り分けるとすれば、それはいずれ作品も鑑賞者もともに死に至らしめるのではないか。そうでもないのかもしれないけれど。「良さ」を「好み」とは別の形で自発的に探していくことは出来ないことではないはずだ。おそらく、「好み」から「良さ」の道行には、規則性の獲得が、つまり制度化することが必要な気がする。気がするだけだ。むちゃくちゃ書き始めたので、この辺で止めておこう。相変わらず、方法が分からずじまいなんだよな。勉強を要する。
じゃあ、結局、私はこれからどーすんの?ということになる。「良さ」とは何か考えながら、「好み」について書いていくことになるだろう。それでいいんじゃね。余談になるが、「好み」について熱く語っているブログさんをみかけて、とても感動した。何を言っているのかはよく分からない、むちゃくちゃなのだが、それでもとても良い文章だと思えた。それでいいんじゃね。動物か。

余談だが、個人的にはこの「良さ」の問題について、NTゼミの人たちと考えていけるといいなと思っている。NTゼミは近いうちに解散する可能性が高い。だが、続けていくこともできる。ほんの数人でやっているのだから、全員の望む内容に調整し続けていくことは決して難しくない。人と共に考えることなんてない、と言われるとそれまでであるが、そんなやつはアニ研を辞めてしまえ。「ヌルオタはガチオタにランクアップせよ」とヌルオタの私は思わないが、しかし「アニメファンはガチアニメファンたれ」とは思う。

前回の日記に引き続き、一言だけ声優批評についてもメモっておく。私は私の「好きな声優」を知っている。しかし、私は「良い声優」を知らない。それでいいんだろうか。