以前、演出の評価は目的論的になされるべき、というようなことを書いた。
http://d.hatena.ne.jp/YOSHIKO-MORy/20081119#1227036169
AのためのB、BのためのC、CのためのD…というように、目的論は手段と目的の連関をなす。そしてその連関は、究極目的を要請する(ここではAか)。究極目的とはなんだろうかと考えていたのだが、それが「良さの基準」にあたるのかもしれない。
演出や技法の連関をたどる、作品の内的な構造を理解する、ということから究極目的にたどり着けないのだろうか?上に書いたこととは食い違うが、外から究極目的を持ち込まずとも、内在的な分析からそれを見出すことが出来るのかもしれない。
しかし、それも結局は自己の関心もとづき「構造がある」と解釈し、構造を見出すことが不可欠だ。解釈が規則的であれば、つまり解釈学的であれば良い…のか?やはり、むちゃくちゃを言い始める。無知すぎる。