涼宮ハルヒの憂鬱 第16話『エンドレスエイト』をグダグダと

一週間遅れ。更新してすみません。この第16話に良心を感じた。


◆見るのは誰か
多くの人が、何度も反復される『エンドレスエイト』を見る視聴者の倦怠感と、物語世界内の人物である長門のそれが、オーバーラップするということを指摘している。それによって私たち視聴者と長門が同一化するように思われる、と。そう考えることはリーズナブルだし、私も賛同できる。けれども、私たちと長門が「同じ」になるのは、倦怠感においてのみであろうか。
少し違った考え方もできるのではないかと思う。私たちは、何度も『エンドレスエイト』を見る。その中で、私たちは長門と「同じ」ように、実践的・制作的関心を離れて、作品から少し離れて(退屈して)、ただそれを眺めるようになりはしないか。つまり、私たちは反復のなかで、視聴者ではなく観察者になる。その点でも、私たちは長門と「同じ」なのではないか。
観察者は、観察対象に干渉しない。そのようなことを長門は口にする。観察すること自体が観察対象に影響を与えるとか、そのような議論もあるだろうが、今は措く。長門の言う観察は、対象に指一本触れず、全く変容させない、そのようなあり方をしている。それは、プラクシス・ポイエーシスと区別されるテオーリアによく似ている。というか、そのものかもしれない。
テオーリア、観想、それは望遠鏡で天空の星を眺めるのに似ている。客観的と言ってもよい。反復の果てに対象へのある種の関心を失った私たちは、それをひどく冷めた視線で見つめるようになる。それはいわば誰でもない、object的な視線である。客観的な事実とは、誰にとっても等しく事実であるような事実であり、その主体は誰でもない。(実践・制作となるとそうはいかない。ハンマーの重さは客観的・数値的に知られるが、それは誰かにとって手ごろな重さでも、別の誰かには重すぎたりする。)


◆見るものの再出現、我々の受肉
今回のエピソードについて、多くの人が、POVショットやインヴェントリーPOVが多用されていることを指摘している。それらの技法は、キョンの目線を、私たちに提示する。キョンという見る主体、視座が、どこからともなく眺めているだけの私たちに齎されるのである。それを私は、今回のエピソードにおける良心の一つに数えたい。
私たちは長門・観察者と同一化している。いわばメタレベルでの同一化であり、また、このメタという隔たりが、私たちを一層観察者にする。それに対して、POVなどによるキョンとの同一化は、むしろ、作品の中に私たちを受肉させるようである。それは、少しばかり、作品を見る態度を変容させる。キョンという関心の中心を得て、実践への企てを含んだ視線へと、少しばかり、私たちの視線は変容する。そして、そのことが、これまた少しばかり、退屈を解消させる。かもしれない。
どこまで行っても私たちは、ただテレビの画面を眺めることしか出来ない。しかし、それでも、キョンのPOVショットを多用することは、キョンが登場人物兼語り手であること以上の積極的な焦点化を促すとは言えると思う。(キョンは常に語り手として視座ではあるが、小説等と異なり、アニメにおける視点は、語り手にのみ回収されない。)


◆視線の分裂、隔たりの系列
けれども、全てのショットがキョンの視線ではないのであって、それゆえに視線は分裂すると言わなくてはならないのかもしれない。それならば、やはり、片割れは長門の視線であるように思われる。そして、長門の視線は、世界の中にはないのだ。世界内の事物から隔たっている。
今回のエピソードの中で、いくつか「隔たり」あるいは「観想」を想起させるモノが映し出されていた。それは、まず、先に挙げたように「望遠鏡」である。望遠鏡は遠く隔たったものを純粋に観察する。天体観測の場面では、前景の長門が中景・後景に位置する他の4人を眺めているショットや、望遠鏡と並んで空を見上げるショットがあった。ほかに、お面の黄色の除き穴からのショット、金魚の泳ぐ袋ごしの長門の目のショットなどがあり、それらはやはり「隔たり」と「観察」を思わせるのである。


◆何が言いたいかというと
文章が下手糞でアレだ。要するに「キョン・世界内的・受肉・実践」という系と「長門・隔たり・観想」という系が、今回のエピソードでは対立しているように思われる。キョン側の系が導入されたことで、今回は、二項対立を見つめる楽しみやキョンに即した見方が現れて、多少、反復のダルさが解消できていたと思う。


◆その他

  • 回転。ハルヒがバッグをぐるぐる回したり遊具を回したり、世界が時計に合わせてグルグル回ったり。面白い表象だと思う。
  • 割と大胆な省略も、倦怠感を解消してくれたような。良心的。
  • これまで暗算していたキョンが電卓を使うのも、良心的。
  • ラストカットでの、時計、12時になるまでの、十数秒の完全なる持続。持続のどうしようもなさが素晴らしい。時間をそのまま叩きつけられるような緊張感。
  • ハルヒの「落書きしちゃダメよ」が可愛い。
  • スローモーションとか、アゲハ蝶とか、4人が飲んでるお茶とか、どう位置づけたらいいのか分からないものも多い。助けて。


◆『エンドレスエイト』に
エンドレスエイト』面白いなあ。何度も面白いものが見られて幸せだなあ。ワクワクする。嘘。物語内容においてはほぼ同じ。けれども、物語言説・レシにおいては、その異なりは誰が見ても一目瞭然で、それを楽しむことは全然できるし、そうするしかないだろコレ。