涼宮ハルヒの憂鬱第22話「涼宮ハルヒの溜息3」感想:増大する「擦れ違い」の行方は

何やってるんだか全然分からない回だった。ハルヒがやたらとみくるを虐めていて、キョンはみくるを守ろうとしていて、なんだかその対立がひどく深刻な感じに描写されるのだけれど(EDのクレジットでまで二人はずれている)、この二人のズレは一体どこにたどり着くのか。分からんなあと思いつつ書く。そこで、ふと気づいたのだが、分からんなあと思ったら次の回を待てばいいんじゃないか、というか分からんなあという思いが次の回を見る原動力なんじゃないか、俺が書こうとしていることは全然意味がないんじゃないか。
涼宮ハルヒの暴行と略奪と陵辱
ハルヒの奇行が目立つ回だったが、とりわけハルヒのみくるちゃんに対する暴虐ぶりは際立っていたように思う。普段の延長と言えばそうかもしれないが、やはり逸脱しているように見える。ハルヒはみくるをメガホンで打つし、みくるのお蕎麦を勝手に食べるし、みくるを恥ずかしい格好にして市内を引きずり回すし。何の恨みがあってそんなことをするのか、全然分からない。それは不安をかきたてられるほどに、わけがわからない。我々は答えを求めて、画面を見続けてしまうけれども、答えははっきりとはそこに無いように思う。
◆アバンに現れるズレ
一分にも満たない短いアバンだが、ここだけでキョンハルヒのズレを顕著な形で認めることができる。ハルヒのセリフ「みくるちゃんをいてこましちゃいなさい」と、キョンのセリフ「朝比奈さんを痛めつけるようなことは許可できん」との間には、明確に対称関係があるだろう。アバンで示されるこのズレが、今回のエピソードを支配しているようにも思われる。
ハルヒがみくるに暴虐を働く一方で、キョンはそれを防ごうとしている。そのズレが、妙に暗い影を落とし、我々を不安にさせる。例えば、キョンがみくるに暴力を振るうハルヒを止めようとするシーンなど、やたらと危うい印象を受ける演出がなされてはいないか。ここまで二人のズレが暗い形で描写されてしまうというのは、どういうことなのであろうか。これだけズレを強調して、何をしようとしているのか。
◆ズレの意味するところ−「エンドレスエイト」を参照しつつ
やや作品から離れてしまうことを危惧しつつ書き進めることにする。ズレの原因であるハルヒの奇行を、欲求不満によるものだと考えてみよう。これは、例えば「エンドレスエイト」において、8月を繰り返してしまうという「奇行」もまたある種の欲求不満によるものだったことから、類推できることである。「溜息」には「奇行→ズレ」という流れが、「エンドレスエイト」には「不満→奇行」という流れがあり、重なり合う部分がある。そこで「不満→奇行→ズレ」という流れを仮想した上で、「エンドレスエイト」を参照して、ズレの意味するところを考えてみる。「エンドレスエイト」においてズレにあたるものは何か?無理のある言い方かもしれないが、「反復に気づかないハルヒと反復に気づき抜け出そうとするキョン」のズレということになろう。このズレあるいは対立は、自足的に8月を繰り返すハルヒキョンという光が差し込むことで解消され、ハルヒの不満も一時的に満たされる。
「ズレとはハルヒの奇行とキョンの抑止の隔たりである」と言ってしまおう。そして「エンドレスエイト」では、このズレはキョンの努力によって解消される。「溜息」における暗いズレもまた同じだと類推することが可能なのではないか。その暗さは、「エンドレスエイト」の悪夢と類比的な暗さなのではないか。
◆「監督キョン」という可能性
ともかく、このズレはこれだけ深刻に描写されたからには、解消されねばならない。どのようにか?それは実際のところ、分からない。だが、その疑問が妄想めいたことを書く原因である。
前回の感想に引き続き「贈与」に注目してみよう。今回、ハルヒキョンに贈与しているのは何か。それはメガホンと椅子である。この二つのアイテムは共に黄色でハルヒを代理していると同時に、監督の象徴でもある。ただ単に荷物を預けただけにも見えるけれども、監督権を譲与しているようにも見える。ハルヒキョンに監督をしてもらいたがっている可能性がここに在る。そして、その可能性が、「エンドレスエイト」での繰り返しを打破したキョンの努力・イニシアティブと重なるものなのではないだろうか。明確な形でキョンが監督をすることはないだろうが、何かが起こらねばならない。これ以上のことは、もはや書きようがないだろう。この辺りでやめておく。
涼宮ハルヒの不満と「溜息」の行方
ハルヒが不満を抱いているとして、それはどのようなものなのだろうか。その不満が引き起こす奇行が、みくるへと向かうものであり、そしてその奇行はキョンの思惑と対立するというところから、なんとなく推測はできるのかもしれない。この不満がキョンの行動によって解消されるとしよう。やはり、何かが起こらねば、ズレは消えないだろうから。
何が起こるのか知りたければ、原作を参照すればよいようにも思うが、そうだろうか?良く分からない。原作小説は5年ほど前に一度だけ読んだ。まだ高校生の頃だった。もはやほとんど覚えていないのだが、原作とアニメの物語内容にかなりの差異があるような気がしていて、アニメは既に独自の終局へと向かっているのではないかと思えてならない。ただの勘違いかもしれないが。
◆まとめ
ただの妄想を書き連ねただけになってしまった。しかし、このズレがどこへ向かうのか、そこに着目せねばならない理由はあると思う。