『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第五話「 山踏ミ・世界ノ果テ」

えーと、登場人物たちがかわいくて、これまででいちばん楽しく感じた回だった。明るくコミカル。けれど、本当にそうなのか。正直、あまり書くことがないのだが、少しだけ。


◆外見と内容のずれ
 外見と内容の食い違いが何度も反復される挿話だった。それが気になる。冒頭から戦車の訓練が描写されるている。それは私たちの目にはしばし実戦の様子にも見えるのだが、実は訓練である。戦車が走行しているかのように見えるカットも、実はバイクのそれである。そのようなズレから、この挿話は始まっているのである。冗談など言わなさそうな乃絵留さんが冗談を言うし、フィリシアさんの外見の白さと内面の黒さが話題に上り、クラウスさんもああ見えて実は「砂漠の狼」などと呼ばれる歴戦の猛者であるらしい。また、彼方さんたちの「遠足」は、遠足のように見えて任務であり、任務のようであって遠足でもあった。見た目と中身がぴったりと一致しないことの連続。だが、その連続は一体どこへとつながっていくのか。
 そもそも、この作品自体が、外見と内容とのあいだにズレを有しているようにも思える。戦争と終末の視覚的イメージを散りばめながら、女の子たちの和やかな日常を描く、あるいはこの作品をそのように評することは可能だろう。そのとき、この作品はズレそのものである。それはひょっとすると痛快なことなのかもしれない。明るくコミカルな遠足の果てに登場人物たちが世界の終わりを見たように、この和やかな少女達の日々の果てに何か悲惨なものを見ることになってしまうのだろうか、と私たちは期待してしまいがちだが、少なくともこの挿話はズレを一致に導きはしない。私たちの期待、「見たい」という欲望は、延々と繰り延べられる。作品は期待を裏切ることで、私たちの視線を奪う。この作品が最後まで戦争へと関わらないで終わりを迎える、デタラメなアニメだったらいいのにな。女の子のダラダラしているアニメが好きだからというだけではなく。


◆その他
 水。彼方さんたちが水遊びをしているあいだに、コンパスを盗まれるってのは、象徴的。神話に語られた火を抱く乙女のように、炎天下で渇いた彼方さんたちは、神話をなぞるように水に引き寄せられる。そうしているうちに、進むべき指針たるコンパスを失ってしまう。つまり、彼方さんたちは、いわば過去をなぞることで、迷子になってしまっている。一話の感想でもそのようなことを書いたが、それが反復されているようにも見える。迷いの入り口に水があり、出口にも水があるように見えるのも面白い。過去の先輩達の遺産である温泉につかる彼女たちは、すっかり現在の位置を取り戻している。
 サイン。手紙を受け取る際にサインをする。サインは受領した証である。それを忘れて見ていたら、監視装置の壁面に名前を刻む意味をはかりかねてしまった。先輩達から受け継がれてきたものを受け取る、そんな意味があるのかね。だから、「歴史」だと言われるのか。


短いけどこの辺で。感想のリストでもつけておくか。
『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第一話「響ク音・払暁ノ街」感想
『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第二話「初陣・椅子ノ話」感想
『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第三話「隊ノ一日・梨旺走ル」感想
『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第四話「 梅雨ノ空・玻璃ノ虹」感想