『10thアニバーサリー 劇場版 遊☆戯☆王 〜超融合!時空を越えた絆〜』感想

アニメ『遊戯王』シリーズのファンなので見に行ったわけなのだが、この作品が「3Dメガネを通して鑑賞する2Dアニメとしては初のフルデジタル3Dデジタルシネマ」*1であるらしいことも、鑑賞の動機のひとつだ。2Dアニメとして、はじめての試みに挑戦しているのであれば、これは見ておかんとあかんな、と。
恥ずかしながらこれまで3D形式の映画を見たことがなかったので、この試みを正当に評価することはおそらく難しいのだが、まだまだ研究の余地があるように思えた。確かに、キャラクターが浮かび上がって見えたり、モンスターやD・ホイールが立体的に見えたり、というのはただそれだけでもスペクタクルであり、楽しいのだが、もっと面白くできそうな気がする。2Dアニメの特性として、立体的に見えるとは言っても、どうしても平面的であって、それをどう改善していくか、あるいはどう長所にしていくか。ともかくこの技術については、可能性を感じるので、今後に期待する。「萌えアニメ」などと呼ばれたりする、女の子がいっぱいでてくるアニメなんかで上手に使えばキャラクターがぐっと近くに感じられて楽しいんじゃないかと。おっぱいが立体的に見えたりしたら、それはわくわくするだろ。
作品それ自体についても述べておかねばならない。まあ、さして楽しい映画ではなかった。尺の短さのせいでもあるし、3人の主人公達の掛け合いの他人行儀さの故でもあるだろう(この掛け合いがこれはこれで良い気もするのだが。)。『5D's』的な生真面目さを保とうとしているように見えてしまったのが残念だ。個人的には、『GX』的な荒唐無稽な映画が見たかった(いや、十分に荒唐無稽であるとも言えようが)。「超融合」しないし。それでも、遊戯と遊星との対比で十代のキチガイぶりが際立って、それだけでも『GX』ファンとしては楽しかった。十代だけ目の輝きが違う気さえする。ただ、もろもろの不満はあるものの、D・ホイールでの走行の場面やデュエルの場面での、見た目の面白さはあり、それだけで十分であるようにも思う。

『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第三話「隊ノ一日・梨旺走ル」の感想 

テレビアニメを見ていると、三話目から急につまらなくなったように感じることが少なくない。
景観、さまざまなもの、光。繊細な描写が素敵な作品だなーと毎回思わされるのだけれども、やっぱり気障だよなーなんて。
模倣と混合が、この作品を語る上で、本質的になるかもしれないが、それは手に余る。


◆時計
第三話冒頭、夜明け前の砦、目を覚ましているのは彼方さんと梨旺さんだけ。彼方さんは、時計の管理をして、時を告げる喇叭を吹く。まるで時間を司る女神のように、あるいは時計そのものであるかのように。それを梨旺さんは見守っている。今回の挿話は、彼方さんが倒れて、梨旺さんが奔走するというお話だったと言うことが可能だと思うのだけれども、この時間を司る二人を見ていると、二人が時計の短針と長針にも思えてきたりもする。1時間に30度しか動かない短針とは違って長針は一時間ごとに走り回るわけで、もし彼方が時計そのものであれば、彼方を中心に(彼方のために)梨旺が走り回るのも、理由のないことではなくなるだろう。映像の上では、まったく梨旺さんが「回る」描写はなかったので、単なる連想ゲームでしかないかもしれないが。「死人まで目を覚ましそうだ」と言われる彼方さんの喇叭には、やはり過去への遡及力を読み込んでしまう。
しかし、この挿話の中で、たびたび描写される柱時計は妙だな。なんかうまく読めない。


◆過去
第一、二話の感想でも述べてきたが、この第三話でも彼方さんは過去へと遡って行くように思える。彼方さんは、普通は子供のものである病気に罹ってしまうからだ。大人ではないが決して子供でもない彼方さんが、そのような病気に罹ってしまうことは、端的にアナクロニックであり、つまり時間が順当ではないのである。時間が逆行していると言えるだろう。その逆行が、彼方さんだけでなく梨旺さんをも、幼少時の記憶へと連れ戻すのである。少し奇妙に思うのは、熱にうなされ過去の記憶を彷徨っていた彼方さんが目を覚まし、これまた「アメイジング・グレイス」を口ずさみ過去に浸る梨旺さんに、手を伸ばすと梨旺さんが傷ついてしまう描写があることだ。いや、ほとばしる体液(涙、鼻水、汗)の描写もこの作品の特徴の一つであるから、そこに血が加わっただけで、このシークエンスにことさら負荷をかけるべきではないのかもしれないが、しかし血を流すということは尋常なことではない気もする。また、梨旺さんの傷の処置も、非常に大げさにも見える。なんなんだろうか。第1話から示唆されていたことではあるが、二人はなんらか共通の過去を背負っているようである。しかし、それでも二人は結び合えないということの暗示なのだろうか。
過去との因縁が物語を動かしていくということは、珍しいことでもなんでもないが、現状では少し特殊な過去への「手つき」を感じる。いや、どうなるのかわからないが。


◆戦車
戦車と喇叭は良く似ている。喇叭は音を放ち、戦車は弾を放つ。だから、戦車が音楽を奏で、喇叭と化してしまっても、さほど驚かなくていいのかもしれない。けれども、戦車が時計へと変容してしまうようにも思えるから、それには驚かざるをえない。戦車はいくつかの音を奏でることで、一つの曲を完成させていると言われる。そして、それが戦車を動かすことと同じであるとも言われる。奏者と操者は似ている。それぞれがそれぞれの役割を果たすことで、一つの全体が完成する。そういうお話を耳にすると、どうしても私は歯車と機械の関係を想起してしまう。いくつもの歯車が合わさって一つの機械が動作する。そして、機械といえば、時計なのである(これは思想史的にもそうかもしれない)。この戦車自体が過去の遺物であり時間を思わせるものなのだが、それだけでなく思い出の曲を積んでおり、さらには時計との類似点も持つ。


なんだろうなー、何か大事なものを語り損ねているよなあ。

『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第二話「初陣・椅子ノ話」感想

またも、およそ一週間の遅れ。それでも感想を書いてみようかと思うのは、気になっているからか。気になっているというか、気に入っていると言ったほうがいいか。映像のスタイル(このように言ってしまっていいものか怪しいが)に、好感が持てる。この第2話では、自然現象(雨、風、光、雷)の在り方も面白い。その「丁寧」と表現しても良いようなスタイルが、しかし、上品過ぎて気障にも思えるのだから、困ったもんだ。


◆雨とノスタルジー
ここまでに既にいくつもの「過去」が提出されているが、「過去を思い出すこと」、そして「現在へと送り返すこと」が、この作品の主題の一つなのかもしれない。
第1話の感想からの連続であるが、この第2話においても、水と過去とが結びついているように見える。彼方さんと暮羽さんは雨の中を、「遺跡」の探索に出かけるし、また「幽霊」も雨にともなって出現しているようにも見える(彼方さんが幽霊を目撃するのは、雨の前だが)。アニメではしばしば、雨は何らか負のイメージの代理-表象として現れるけれども、この挿話の雨はそのような用例におさまりきるものではないだろう。穏やかにしとしとと降る雨は、過去への想いをかきたてる。もちろん、そのノスタルジーの主軸は、かつて学校だったらしい「遺跡」にあるのだが。学校という舞台は、かつて学校に慣れ親しんでいたものにとっては、多かれ少なかれ懐かしい(振り払いがたい)過去であろう。劇中で言われる「イデア文字」という言葉に、プラトンの「想起」説を読みこみ、哲学は「郷愁」であると語ったノヴァーリスを連想しても、良いのかもしれない。


◆時間の探索としての「初陣」と帰還としての「椅子」
これも第1話の感想からのつながりであり、先に雨について述べたことの繰り返しにもなるが、この第2話でも、彼方さんは過去へと遡行していく。つまり、過去の「遺跡」を彷徨うことになる。彷徨の中で、彼方さんは「変わらない音楽」によって、すなわち音が今も昔も変わらないことを想い出す(=知る)ことによって、現在へと回路を拓く。けれども、やはり注目しなければならないのは「椅子」だろう。過去から現在へとサルベージされる椅子。その椅子が、今回も過去の中で迷子になってしまう(レトリックの問題にすぎないが)彼方さんに、正常な位置をもたらしている。位置、食卓における位置、関係における位置、居場所。


◆学校とセーラー服
もう少し学校という過去について考えておかなくてはいけない気がするのだが、これは私の手には余る問題だろう。アニメにおける、いわゆる「学園もの」(その実在性には疑問の余地があるが)の問題に絡んできてしまう。それでも一つ言っておけば、この挿話中に唐突に現れるセーラー服を着て楽器を手にしたキャラクター達は、中高生くらいの人たち特有のふわふわ時間感へのイメージの飛躍を可能にするのではないだろうか。ゆえに、どう見てもサイズのあっていない、ゆるゆるな軍服を着ていても問題ない気がしてくるのだが、一方ではセーラー服にはぴったりと収まっていることへと注意が向かってしまう。「本来的な場所」へのイメージ。だがそれは表象されることはあっても想起されることはない非場所。いや、それもまたいずれ取り戻されるのか。


ロクなこと書いてないなー。

徹底して主観的に。

2010年になった。
今年は昨年よりもさらに更新頻度は低下すると思われるが、ぼちぼち続けていくんじゃないだろうか。
徹底的に主観的に書いていきたい。
アニメを視聴することでしか得られない面白さへの情熱を忘れない。
アニメの荒唐無稽をそのまま引き受けられたらいい。

『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第一話「響ク音・払暁ノ街」

放送開始から一週間以上遅れての言及になり、その必要性は限りなく薄くなっているようにも思われる。しかし、どうもこの作品を無言で通過させてはいけないような気がする。いや、それは全くの嘘なのだが、こうして言及してしまっている。なんというか、この手の良く出来たアニメ(と言うことは不正であろうが)への抵抗感は常に感じるのだけれども、だんだん慣れていって、最終的にはすごく気に入るのもまた常であるのだから、もっと素直に受け入れたい。のだが、なんだか難しい。


◆呼びかける
もしこの第一話に感動的な部分があるとしたら、その一つは、谷底に落ちた彼方さんがラッパを吹くシーンだと思う。ここではラッパの音はただのラッパの音ではない。それは呼びかけである。いや、単なる呼びかけではなく、むしろ祈りである。誰にも届かないかもしれない呼びかけは、つまり誰かに聞き届けられることを希う祈りそのものだ。祈りはそれ自体で人の心を何ほどか動揺させる。だからこそ、呼びかけは人に届くとも言える。呼びかけが祈りであるのは、この挿話に限ったことではなく、日常においても同様である。それも合わさって、この呼びかけと応答は感動的だ。そして、彼方さんのラッパは下手だと言われているが、純粋な祈り=呼びかけであるこのラッパは、上手ではいけないのだ。第一話を視聴する限りでは、彼方さんはラッパ手になることを目指しており、ラッパ手とはラッパによって信号を伝達するのが役目のようだ。十分に熟練したラッパ手のラッパは信号であることになるだろうが、しかし、信号であれば、それはもはや当て所なく彷徨う呼びかけではない。信号は信号解読表を手にする者を目指している。彼方さんのラッパは信号ではなく、信号を超えた想いを響かせる可能性をはらんでいるのではないだろうか。そこに彼方さんの主人公性を認めてしまうのは容易いが、あるいは安易だろうか。*1


◆水と過去
やや作品から離れてしまった。具体的な語りを心がけたい。この挿話では、街の過去が物語られ、「水をかけること」が「神話」に由来することが言われている。水は悪魔の死骸(?)を隠してもおり、水が街の過去と結びついているのは確からしいように思われる。だが、水はまた、彼方さんの過去とも結びついているのではないだろうか。彼方さんの過去を描写しているらしいシーンでは、雨が降っており、彼方さんは涙を流している。その水が現在の水と呼応しないか。彼方さんの入浴シーンに注目して、風呂場のタイルが、過去シーンでのタイルと酷似していることを指摘しても良いのかもしれないが、むしろ、「街の過去-水」の変容としての「彼方さんの過去-水」であれば、むしろ水も何らか変容していてもいい。梨旺さんの鈴も、また過去と現在をつなぐアイテムだと考えられるが、その梨旺さんと彼方さんの出会いが、水に媒介されていることを指摘しよう。彼方さんと梨旺さんがショーウィンドウ越しに出会うシーンだ。このシーンでは、彼方さんはガラス越しに魚を見つける。つまり、このガラスが水・水面と化しているように見えるのだ*2。そして、その「水中」深くから梨旺さんが現れる。彼方さんと梨旺さんが出会うところに、水と(そのときには梨旺さんは持っていないが)鈴が存在している。過去と現在が変容したかたちで交錯する。それが、まあ、面白い。


◆時間に迷う
彼方さんは迷子になりがちだと言う。迷うことは普通、空間において可能であるが、彼方さんはこの第一話にあっては時間に迷っているようにも見える。いや、確かに彼方さんは普通の意味でも迷っている。しかし、彼女が気にかけるのは、空間的な位置よりも、時間的な位置である(彼女は時計をしきりに気にする)。そして、彼女は現在目指すべき場所ではなく、過去の象徴であるかのような鈴のほうへと、過去のほうへと迷い込んでいってしまう。やがて、彼女は谷底に落ちて、知らぬうちに更なる過去、神話のたどった道筋をなぞるように迷うことになるだろう(神話と同じようにラッパを吹く)。彼女が一旦は意識を失ってしまうのは、神話という起源にまで彼女が迷っていってしまいそれ以上迷えなくなったからではないだろうか。袋小路を突き抜けるように、彼女の呼びかけは「現在」へと届いており、意識を取り戻した彼女は正常な時間を回復している。つまり、彼女は本来目指していた場所へとたどり着いている。さらに言えば、その場所は「時告げ砦」と呼ばれる場所であり、その名の通り、時間を告げる、いわば時計そのもののような砦である。時間に迷っていた彼方さんは、梨旺さんによって、時間の中心へと位置することができたのである。歴史を語り直すことで過去が現在へと回帰する。なんというか、この後のお話の展開の暗示と考えることもできるのかもしれない。


◆その他
望遠パースが妙にかっこいい。

*1:信号でないにしても、饒舌な語りは真摯な呼びかけにはなりえないように思う。音楽的な詩のようなことばに、人はむしろ胡散臭さを感じるのではないだろうか。たとえば、政治家の演説やTVショッピングの売り文句など。人を引き込むようなリズムとは手を切ったところに、祈りは成立するように思われる。不器用なラッパは、人とのつながりを祈ることの標の無さと重なるのである。

*2:ガラスって液体なんだっけ?

5秒で選ぶ、00年代声優ユニット10

ある種の哲学者は歴史の可能性に絶望しているように思える。たしかに歴史が私たちに教えるところは大きい。けれども、歴史は必ずなにものかを取りこぼすのだ。ゆえに歴史は最大の注意をもって記述されなければならないし、そうしたとしてもやはり不可能なのかもしれない。ベスト/ワーストアニメの選出や、声優ユニット10選というような試みは、歴史への志向を含む。いや、歴史化そのものと言ってもよいだろう。私のような凡人が、安易に手を出してよいものではない。しかし、歴史からなにものかを排除してしまうことを恐れて歴史化を拒むのも選択の一つではあろうが、一方で、排除されてしまったものをそのつど私が何度でも拾い上げるという歴史化もまた選択肢に数えられるのではないだろうか。id:kt-2007さんの試み(ゼロ年代声優ユニット史)は、まさにそのようなものだと思われる。そこで僭越ながら、私も声優ユニットを選び出してみた。5秒で。

Aice5堀江由衣たかはし智秋浅野真澄神田朱未木村まどか
阿部玲子宮崎羽衣近江知永
・クローバー(井ノ上奈々宮崎羽衣斎藤桃子庄子裕衣
・Sister × sisterS (高本めぐみ落合祐里香、坂本梓馬、山本麻里安新谷良子
・碧陽学園生徒会(斉藤佑圭、富樫美鈴、堀中優希、本多真梨子
黒薔薇保存会ユイエル、他)
JAM Project(遠藤正明奥井雅美影山ヒロノブきただにひろし福山芳樹松本梨香、他)
・マイサンシャインmeetsスフィア(高垣彩陽寿美菜子戸松遥豊崎愛生
MilkyWay久住小春北原沙弥香吉川友
Lemon Angelしほの涼小清水亜美門脇舞茅原実里平間樹里、丸山美紀)


などと言ってみたところで、最近のことしか覚えていないな俺。なんらか物語的に10組選んだわけではなく、単発的な印象でもって(具体的に言えば、歌が好きだったりとか)で選んだつもり。やはり私は「歴史に興味のないクソ」だ。で、まあ、そういう選び方をすると10では全然足りないし、こういうことをする意味が分からなくなる。声優ユニット選ではなく、むしろ声優ソング選をしたほうが私の関心には適合しているのかもしれない。面倒なのでしないけれど。そして、普通は声優ユニットとはみなされないであろうユニットを何組か入れてあるが、これもまた、「拾い上げる」ということの一環だと思っていただければ。それで納得できない面もあろうが。だから、また誰かが語りなおしてくれることが必要なのか。Aice5は圧倒的だろしかし。
ロサのが、最も美しい気がするなあ。うん。ほっちゃん

「2009年ベスト/ワーストアニメ」

普段はあまりこういうことをしないのだが、今回はちょっとしたきっかけもあり、少しだけ2009年を振り返ってみることにする。
なぜ普段はあまりこういうことをしないのか。一つの作品を一つの作品として把握することが私にはできないからだ。TVアニメであれば、一つの作品には短くとも3ヶ月の広がりがある(私は一気にまとめて視聴することはほとんどないので)。一つの作品を一つのものとして捉えるためには、この3ヶ月という時間を取りまとめることが必要である。たとえ、一気に見たとしても、およそ6時間。そのあいだに移り変わっていく無数のカット、積み重ねられる諸要素をひとつのものに構成しなおさなければ、一つの作品として語り直すということが不可能である。私にとってTVアニメは、船首が現れるときには船尾は隠れて見えず、船尾が見えるころには船首は通り過ぎ去ってしまう、そのような巨大な船のようなものだ。それゆえに私は、一つの挿話や、一つのシーンや、一つのカットや、一つの要素のような、比較的小さく、一挙に把握できるものについてしか語れない。事実、私のブログはそういうかたちでしか成り立っていない。あるいは、小さいものたちの総和を全体とみなすことも妥当かもしれないが、そのような努力も私はしていない。けれども、今回はその不能を無能なままに断行する。きらめく知性と力強いことばで、2009年を確かに創造するアニメブロガーのみなさんを見習いたいものだけれども……。あいまいな印象だけで私は語ることになる。「なんとなく面白かったな」程度。まあ、前置きはこのあたりにしておこう。



◆ベスト
空を見上げる少女の瞳に映る世界』(監督:木上益治 / 制作:京都アニメーション

「なんとなく面白かったな」程度の基準で考えると、そのような作品はそれなりの数にのぼる。その中で一つだけを選ぶことにすると、どうしても、なにか引っかかるものを選ばざるをえない。これを選んじゃっていいのか?みたいなものを。いや、率直に面白い作品だったと思うのだけれど。いま、DVDを見直してみてもそう思うものなあ。どうして買っちゃったんだろう。わけがわからない。劇場版も楽しい。少しだけ見返してみて思うのは、画面のつながりの心地よさ。空。ユメミちゃんの可愛さ。引き込まれる。
いちばん嫌いなタイプのアニメ感想文になってしまった。


◆ワースト
化物語』(監督:新房昭之 / 制作:シャフト)
工業都市のような作品だと感じた。様々なものが個別性に打ち震えているような。そんなアニメは見ていてちょっと辛い。
いずれもう少しまとまったかたちで考え直してみたい。




◆その他(なんとなく面白かったなと思う作品)

あにゃまる探偵 キルミンずぅ
11eyes
クロスゲーム
けいおん!
源氏物語千年紀 Genji
鋼殻のレギオス
ささめきこと
GA 芸術科アートデザインクラス
真・恋姫†無双
涼宮ハルヒの憂鬱
生徒会の一存
大正野球娘。
とある科学の超電磁砲
ドルアーガの塔 〜the Sword of URUK〜
夏のあらし!
にゃんこい!
乃木坂春香の秘密 ぴゅあれっつぁ♪
鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST
・ファイト一発! 充電ちゃん!!
・Phantom 〜Requiem for the Phantom〜
WHITE ALBUM
・夢色パティシエール
RIDEBACK

他にも面白い作品は多かったと思う。継続している『NARUTO』や『REBORN!』も楽しい2009年だった気もする。
いや、しかし、作品評は俺には不可能だなあ。


遅ればせながら、こちら↓のみなさんの企画に乗っからせてもらいます。
http://d.hatena.ne.jp/ill_critique/20091220/1261317064
http://d.hatena.ne.jp/episode_zero/20091220/p2